文京区本郷にある菊坂ってどんな場所?歴史やゆかりのある人物など | 文京つーしん
文京区本郷には、「菊坂」と呼ばれる坂道があります。歴史ある建物が点在し、江戸から昭和にかけての菊坂の様子を伝える案内板も多く見られます。今回は、そんな菊坂の歴史と魅力についてご紹介します。
菊坂とは
菊坂は、東京都文京区本郷にある坂道で、東京大学前の本郷通り(言門通り)から西片1丁目までの約600mの緩やかな坂です。現在の菊坂には、美容院や喫茶店、惣菜屋などの個人商店やマンションが並び、地域の暮らしに根付いた風景が広がっています。
東京大学と菊坂の関係
本郷に東京大学が誕生したのは明治10年(1877年)。以来、明治、大正、昭和の各時代にわたり多くの文人がこの地で暮らし、文化の香りが溢れる街として発展しました。特に菊坂周辺は、明治・大正期に多くの文士が集まった場所として知られています。
菊坂の名前の由来
菊坂の名前は、かつてこの地域が菊畑だったことに由来します。現在も菊坂を歩くと、軒先には季節の花々や緑が見られ、下町の心地よい風情を感じられます。
近代文学と菊坂
菊坂は近代文学発祥の地とも呼ばれ、多くの著名な作家がこの界隈に暮らしました。
- 坪内逍遥
- 正岡子規
- 樋口一葉
- 徳田秋声
- 石川啄木
- 金田一京助
- 宮沢賢治
- 竹久夢二
- 谷崎潤一郎
- 宇野千代
- 広津和郎
例えば坪内逍遥は、明治初期に小説論『小説神髄』で江戸時代的な勧善懲悪主義を批判し、写実主義を提唱。文学は教訓ではなく芸術であると説きました。
菊坂にまつわる歴史スポット
- 下宿屋・蓋平館別館跡
石川啄木が赤心館の後に移り住んだ下宿屋です。 - 徳田秋声旧宅
自然主義文学の巨匠・徳田秋声が明治38年から没するまで住んでいた住所。現在は東京都の史跡です。 - 「桜木の宿」跡
幼少期の樋口一葉が暮らした場所です。 - 伊勢質屋
樋口一葉がたびたび訪れた質屋で、旧伊勢屋質店の土蔵は国登録有形文化財。週末は一般公開もされています。 - 赤心館
金田一京助と石川啄木が暮らした下宿屋の跡地です。 - 菊富士ホテル跡地
宇野浩二、竹久夢二、谷崎潤一郎、広津和郎ら多くの文人が利用したホテルで、戦時中に廃業し戦火で消失しました。 - 樋口一葉の菊坂住居跡
赤門前から引っ越した樋口一葉の住居跡です。彼女は生涯の約10年間を文京区で過ごしました。 - 宮沢賢治旧居跡
大正10年に上京し、一時期この地に間借りしていました。 - 坪内逍遥住居跡
明治17年から3年間住んでいた場所で、近代文学の礎を築きました。
江戸時代の坂と現在の菊坂の違い
現在「菊坂」と呼ばれている坂道は、江戸時代と同じ範囲ではありません。江戸時代には複数の坂が「菊坂」と呼ばれ、現在は本妙寺坂や胸突坂、梨木坂もその一部に含まれていたと考えられます。
本妙寺(本妙寺坂)について
現在の本妙寺坂は菊坂の途中から南へ伸びており、江戸時代には本妙寺という寺がこの坂の北側にありました。本妙寺は明暦の大火(振袖火事)の火元としても知られ、明治43年に巣鴨へ移転しています。
本妙寺跡地には明治42年から私立東京女子美術学校菊坂校が設立され、女性の美術教育に特化した場として歴史を刻みました。桑沢デザイン研究所創設者の桑沢洋子もここで学んでいます。
文京区本郷・菊坂の魅力まとめ
文京区本郷、特に東大周辺は現在も文学の薫りが色濃く残り、多くの学生や住民に愛されるエリアです。菊坂は時代と共に姿を変えつつも、歴史と文化の記憶を今に伝えています。
賃貸マンションを探す際も、このような地域の歴史や文化を感じられる場所は、暮らしの豊かさに繋がるでしょう。治安や教育環境だけでなく、街の持つストーリーもぜひ参考にしてください。
文京くらしナビでは、これからも地域の魅力や住みやすさをしっかりお伝えしてまいりますので、どうぞご期待ください。
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